「倍速視聴はけしからん」に、別にいいじゃんと思う理由

「最近の人はタイパ(タイムパフォーマンス)重視で、映画やドラマを倍速で観たり、本は要約で済ませたり、結末を先にネタバレで確認したりする。これじゃ作品を味わえないし、教養も育たない。もったいない」——こういう声を、よく見かけます。
正直に言うと、私は「別にいいじゃん」と思っている側です。ただ、なんでもかんでも効率でいい、と言いたいわけでもなくて、自分なりの線引きがあります。今日はその話を。
まず、どっちの言い分も分かる
倍速で観る人の気持ちは、よく分かります。時間は有限だし、観たいものも読みたいものも多い。全部を等速で、じっくり味わっている時間なんてない。効率的に要点を取っていくのは、合理的な選択です。
一方で、「いやいや、じっくり味わってこそ」という人の気持ちも分かる。だから、どちらが正しいという話ではないと思っています。
私が一つだけ大事だと思っているのは、自分と違う楽しみ方を否定しないことです。タイパ批判って、ともすると「自分の楽しみ方のほうが上」という見下しになりがちなんですよね。でも、自分が正しいのと同じくらい、別のやり方を正しいと思っている人もいる。そこはフラットでいたいなと思っています。
自分の使い分け:映画は等速、解説動画は倍速
じゃあ自分はどうしているか、というと、はっきり使い分けています。
映画は、等速で観ます。倍速にはしません。一方で、「◯◯の使い方」みたいなYouTubeの解説動画は、倍速にしたり、10秒スキップでどんどん飛ばして、気になったところだけ見たりする。同じ「映像を観る」でも、扱いが全然ちがうんです。
分かれ目は「過程そのものに価値があるか」
この違いは何なんだろう、と自分でも考えてみました。たどり着いたのは、「過程そのものに価値があるかどうか」という基準です。
映画って、シリアスなシーンの"溜め"があるからこそ、面白さが出ると思うんです。あの間や、じわじわ来る感じ。結末が知りたいというよりは、そこに至る過程を楽しみたい。だから倍速にすると、その"溜め"が潰れて、台無しになってしまう。
逆に、解説動画で欲しいのは、結論や情報です。過程に味わうべきものは、あまりない。だったら、飛ばして要点だけ取ればいい。
つまりこれは、「タイパ派 vs じっくり派」という対立の話じゃないんですよね。同じ人の中でも、対象によって"過程の価値"が違うから、扱いが変わるだけ。そう考えると、倍速か等速かで争うのは、あまり意味がない気がします。
本も同じ。ただ、やり方にはこだわらない
本も、だいたい同じ感覚です。
小説は、電車の待ち時間みたいな日常のスキマ時間に読むことが多いのですが、その細切れの中でも、過程をしっかり楽しんでいます。一方で、ビジネス書のたぐいは、基本は要約で十分。ただ、ものによっては、きちんと最初から最後まで読んだりもします。
要は、やり方にはこだわっていないんですよね。過程に価値があると感じれば味わうし、情報が欲しいだけなら効率化する。その時々で、対象に合わせて変えているだけです。
だから、「倍速視聴はけしからん」にも、「じっくり味わうのが正義」にも、あまり乗れません。過程に価値があるものは、味わえばいい。情報が欲しいだけなら、飛ばせばいい。同じ人が、両方やっていいと思うんです。
人の楽しみ方に、そんなに優劣をつけなくてもいいんじゃないかな、と思っています。倍速で観ている人を見て「もったいない」と思う前に、その人はその人で、ちゃんと楽しんでいる。それで、いいんだと思います。
そんなことをきのこの山、たけのこの里を食べながら思ったのでした。



