「残業は悪」は、主語がでかいと思う

「残業は悪」「残業ゼロが正義」——最近は、そういう空気がすっかり定着した感じがします。長時間労働は体に悪いし、だらだら残業するのは非効率。定時で帰れないのは能力か仕組みの問題だ、と。
言っていることは、だいたい分かります。ただ正直に言うと、「残業は悪」と一括りに決めつけるところに、少しだけ引っかかるんです。ちょっと、主語がでかい気がして。
「残業は悪」は、主語がでかい
残業って、大きく分けて二種類あると思うんです。上司や会社からの命令でやる残業と、自分から進んでやる自主的な残業。
「悪い」と言われがちなのは、たぶん前者です。やりたくもないのに、断れなくて、だらだら付き合わされる残業。これは確かに良くない。ただ、この二つをまとめて「残業=悪」としてしまうと、後者の、本当は悪くない残業まで一緒くたに捨ててしまうことになる。そこが引っかかるんですよね。
自主的な残業には、いい面もある
自主的な残業について言うと、私はむしろ肯定的です。
なんでか自分でもうまく説明できないのですが、炎上しているプロジェクトでも、真剣にゴールに向かって手を動かしていると、だんだん楽しくなってくるんです。まあ、そのとき一緒に仕事をしていた先輩が、いい人だった、というのもあるとは思います。
それに、昔、徹夜も含めてがっつり残業してきたことは、間違いなく今の自分の血肉になっていると思う。ちゃんと評価もされました。あの時間があってよかった、と、今でも思っています。ちなみに私は今、残業はほとんどしません。それでも、そう思うんです。
ただ、「だからみんな残業しろ」とは言わない
ここは、正直に書いておきたいところです。
自分が残業で得たものがあったからといって、「だからみんな残業すべきだ」と言うつもりは、まったくありません。それこそ、さっきと同じで主語がでかい。人によって事情も体力も違いますし、そもそも成長するかどうかは、残業とは別の話です。残業しなくたって、成長はできる。私にとっては、たまたま残業がその場だった、というだけのことだと思っています。
分ける線は「納得しているか」。上限は「体を壊さないか」
じゃあ、アリな残業とダメな残業を、自分の中でどこで分けているか。
いちばんの基準は、自分が納得しているかどうかだと思います。命令でやる残業でも、内容を聞いて自分が納得できるなら、それはアリ。逆に、自主的にやっていても、納得しないままだらだら続けているなら、それは違う。
そしてもう一つ、これは絶対の上限ですが、体を壊すならダメ。どれだけ納得していても、体調がおかしくなるまでやるのは、さすがに良くない。健康より優先していい残業なんて、ないと思います。
結局、「残業は悪」でもないし、「残業しろ」でもない。納得していて、体を壊さない範囲でやる残業なら、別に悪いものじゃない。ただそれだけの話だと思うんです。
一律に「残業は悪だ」と決めつけるより、自分の納得と、自分の体調で線を引く。そのほうが、たぶん自分にとって健全なんじゃないかな、と思っています。



