公式が黙認するとき、ルールは死ぬ――アーケードゲームのRMT問題から考える「形骸化した規範」の罪
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「NGだけど、みんなやってる」――その違和感の正体
アーケードゲームのRMT(リアルマネートレード)が、SNS上で堂々と行われている。公式は規約でNGとしているのに、取り締まられている様子がない。
これを見て「なんかもやっとする」と感じる人は、決して少なくないと思う。ただ、そのもやっとの正体を掴もうとすると、少し難しい。
RMT自体の是非を問いたいわけじゃない。問題の核心は、「禁止と言いながら放置している」という構造のほうにある気がする。ルールと現実の乖離が、そのまま放置されている状態、とでも言えばいいだろうか。
黙認は「許可」と同じ効果を生む――社会的証明の罠
ロバート・チャルディーニの『影響力の武器』に、「社会的証明」という概念が出てくる。人は、他者の行動を「正しさの基準」として使う、という話だ。
つまり、まわりがやっているなら、それはきっと正しいことなのだろう、と判断してしまう。これは意識的な判断というより、もっと自動的な反応に近いらしい。
この原理をRMT問題に当てはめてみると、少し怖いことになる。公式が取り締まらない状態が続くと、それ自体が「やっていい」というシグナルとしてプレイヤーに受け取られていく。
違反が可視化され、常態化する。そうなると、参加しない側が「損をしている」感覚に陥る構造が生まれる。真面目に規約を守っているプレイヤーが、なぜか割を食っているように感じる、あの感覚だ。
黙認は「中立」じゃない。現状を積極的に肯定するメッセージになってしまう、ということだと思う。
システムが「逸脱」を飲み込んでいく――設計と依存の問題
ナターシャ・ダウ・シュールの『Addiction by Design』は、ギャンブルマシンの設計がいかにプレイヤーの行動を誘導するかを分析した本だ。
そこで語られるのは、プレイヤーが「ゲームをうまくやっている」と感じながら、実はシステムの設計通りに動かされているという構造だ。
アーケードゲームにも、似たような設計の問題があると思う。課金格差や希少アイテムの存在が、RMTへの需要を生む土壌になっている。
『影響力の武器』で言うところの「希少性の原理」、つまり手に入りにくいものほど求めたがる心理が、ここでも働いている。レアであること自体が、欲望を加速させる。

そして公式がRMTを黙認し続けると、グレーゾーンがゲーム体験の一部として静かに組み込まれていく。ユーザーは「ルールを破っている」とは感じず、「ゲームをうまく攻略している」と認識し始める。その境界線が、じわじわと溶けていく感じがある。
「形骸化した規範」が共同体に与えるダメージ
守っている人が馬鹿を見る、という構造は、コミュニティを内側から壊していく。誠実なプレイヤーは不信感を抱き、離れていく。
『影響力の武器』には「権威」という原理も出てくる。人は権威ある存在の判断を信頼し、それに従おうとする。でも裏を返せば、権威ある存在が自らルールを軽視すると、従う理由がなくなる。
公式がルールを形骸化させると、今後の注意喚起や規約改定が届かなくなる。「また何か言ってる」と受け流される未来が、静かに積み上がっていく。
『影響力の武器』にはもう一つ、組織の不誠実さが引き起こす損失について触れた部分もある。社員による詐欺的な戦術を放任している組織には、いずれ必ず高くつく、という指摘だ。ゲームの世界でも、それは同じ構造だと思う。
信頼は一度失うと、取り戻すのがとても難しい。黙認を続けることのコストは、表面には見えにくい分だけ、じわじわと積み上がっていく性質のものだと思う。
では、公式は何をすべきか――「曖昧な黙認」からの脱却
公式に求められるのは、どちらかを選ぶ誠実さだと思う。禁止を徹底するか、あるいはルール自体を見直すか。
グレーゾーンを放置し続けることは、コミュニティの規範ごと崩壊させるリスクをはらんでいる。曖昧な状態を維持することが、いちばんコストが高い選択になるかもしれない。
ユーザー側に向けて言えば、怒りをぶつけることよりも、問いかけることのほうが意味を持つ気がする。「公式はこの状況をどう考えているのか」と声を届けること。それがコミュニティを守る、地味だけど確かな行動になるんじゃないかと思う。
ルールは作るだけでは機能しない。守られる仕組みとセットで、初めて意味を持つ。そのことを、今一度考えてみたくなった。
参考書籍
- 『影響力の武器』ロバート・B・チャルディーニ
- 『Addiction by Design』ナターシャ・ダウ・シュール
