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1on1で部下が上司に「気を使う」のはなぜ起きるのか——縦の関係が生む静かなコスト

文:
1on1で部下が上司に「気を使う」のはなぜ起きるのか——縦の関係が生む静かなコスト

その違和感の正体——「気を使う」のは誰のため?

1on1って、本来は部下の思考や課題を引き出すための時間のはずなんだと思う。でも実際の現場の話を聞いているとなんとなくモヤっとしてくることがある。

  • 「上司を不機嫌にさせないように話す」
  • 「否定されそうなことは最初から言わない」
  • 「とりあえず順調だと伝えておく」

こういう選択が、部下の側で自然と行われていないだろうか。もしそうだとしたら、その場の目的はいつの間にか「部下の課題を引き出すこと」から「上司の機嫌を損ねないこと」にすり替わっていることになる。

この感覚、個人の性格の問題として片づけてしまいがちなんだけど、もう少し丁寧に考えてみると、これは「関係性の設計」の問題として捉え直せるような気がしてくる。

「縦の関係」が空気を支配するとき——アドラー心理学から見る上下関係

『嫌われる勇気』の中で、哲人はこんなことを言っている。職責の違いは当然あるけれど、意識の上での上下は別物だ、と。年長者を敬うことや役職の違いを尊重することは自然なことだし、それ自体を否定しているわけではない。ただ、「場の空気を読んで縦の関係に従属すること」は、自分の責任を回避しようとする無責任な行為でもある——という指摘がある。

これを読んだとき、少し意外な感じがした。縦の関係に従うのは「安全」だと思っていたけれど、それは同時に「自分の判断・責任を放棄している」という側面も持っているんだと。

そして、こんな記述も出てくる。

お世辞の言葉を並べ立てることで、上司に気に入られようとする。これなどは完全な操作ですね。逆にいえば、わたし自身も誰かにほめられることで操作されていた。

上司の顔色をうかがったり、お世辞を言ったりする行為——これは「操作」なんだ、という整理が、なんとなく刺さった。操作というと聞こえが悪いけれど、これは責める言葉というより、双方が縦の関係に囚われているサインとして読む方が自然な気がする。

対等な意識がない場所では、1on1はどれだけ時間をとっても「報告の場」か「評価の場」になってしまいそうだなぁ、と思う。

情報の質が歪む——「答えやすいこと」を話してしまう構造

もうひとつ、気になっていることがある。気を使う関係性の中では、共有される情報の中身そのものが変わってしまうんじゃないか、ということだ。

『問いの設定』という本に、こんなシーンが出てくる。上司が「プロジェクトは順調ですか?」と聞いているのに、部下はチームメンバーの個別の課題について話し始める。上司がもう一度同じ質問をすると、部下は「え、答えたはずなのに……」と戸惑う。この構造の根っこにあるのは、部下が「上司の問い」ではなく「自分が答えやすい問い」に答えてしまっている、ということらしい。

これを1on1に当てはめると、もっと深刻なことが起きているかもしれない。上司が本当に必要としている情報——たとえば緊急度や重要度が高い問題、チームの実態にある摩擦——ではなく、部下が「安全だと感じる情報」だけが共有される、という状態だ。

ネガティブな情報、反対意見、本音——こういったものは、気を使う関係の中で自然と脱落していく。そうなると、1on1は「組織の現実を見えなくする装置」になってしまう、という逆説がある。毎週丁寧に時間をとっているのに、むしろ実態から遠ざかっていくという事態が、静かに起きているかもしれない。

信頼口座と「その場にいない人への誠実さ」——『7つの習慣』が示すもう一つの視点

『7つの習慣』には「信頼口座」という考え方が出てくる。人間関係における信頼は、銀行口座のように預け入れと引き出しが繰り返されるものだ、というイメージだ。

そこにこんな一節がある。

二面性は、相手への預け入れに見えるかもしれない。しかし、自分の不誠実さをさらけ出しているのだから、実際は引き出しになってしまう。

1on1で上司に気を使い、その場の空気に合わせた返答をすることは、短期的には摩擦を避けられる。でも長い目で見ると、それは信頼口座からの引き出しになっているかもしれない、ということだと思う。

また、こんな言葉もある。

正しいと思うことをせず、他人や組織に忠誠であることを優先していたら、誠実とは言えません。(中略)誠実であれば、いずれは他者の忠誠心を得られます。しかし最初に忠誠心を求めようとしたら、それと引き換えに誠実さを捨てることになるでしょう。好かれるよりも信頼されるほうがよいのです。

「好かれよう」とすることと「信頼される」ことは、じつは方向性が違うんだな、と。上司の機嫌を損ねないように発言を選ぶことは、短期的な好感を得られるかもしれないけれど、それが繰り返されると、本音を言わない人・都合のいいことしか話さない人として認識されていくことになる。

そう考えると、主張すべきことを堂々と主張できる関係性こそが、互いの信頼口座を積み上げていくのだと思う。

1on1を「対等な場」に戻すために——構造を変える小さな問い直し

ここまで考えてきて、「気を使ってしまう自分が悪い」とか「上司が怖いのが問題だ」という話ではないな、という感覚がある。それよりも、関係性の設計そのものを問い直すことが出発点になるんじゃないか、と。

上司の側には、1on1を「評価・判断する場」として運用している空気を、意識的に手放すことが必要なのかもしれない。部下が「何を言っても安全だ」と感じられる場でなければ、そもそも本音は出てこない。

部下の側には、「縦の関係への従属=安全」という思い込みを少しずつ自覚していくことが、ひとつの出発点になりそうだなぁ、と思う。それは「反抗する」とか「生意気になる」ということではなく、意識の上で対等であること——『嫌われる勇気』の哲人の言葉を借りれば、「主張すべきは堂々と主張すること」——を静かに選んでいく、ということだと思う。

問いの質・関係の質・情報の質はすべてつながっている。1on1の設計は、組織文化そのものの縮図なのかもしれない。それを「個人の問題」として処理しないで、「関係性の設計の問題」として眺め直してみると、少し違う景色が見えてくる気がする。